※このページではアフィリエイト広告を紹介しています
PR

プロフィール

はじめまして。

このブログへお越しいただき、ありがとうございます。このブログの家主のネムスと申します。ここで簡単にネムスの経歴をお話させていただきます。

スポンサーリンク

<自己紹介>

生息地:山口県→大分県→沖縄県

好きなこと:ビールを飲む、Macintoshで遊ぶ、旅に出る

嫌いだけど続けていること:ジョギング

スポンサーリンク

<学生>

特に何かを、頑張った訳ではないけど、体を動かすことは好き。

 小学生→ソフトボール、サッカー
 中学生→野球、陸上
 高校生→陸上、吹奏楽

やってたクラブ活動のほとんどは体育会系。
良くも悪くも、ありふれた人生。

スポンサーリンク

<勤め人>

野球部時代
野球部時代

電化製品を製造していたメーカーに就職。
会社では、野球部(←配属部署ではなくクラブ活動)に入った。
そして、酒とタバコと麻雀を新しく覚えた。

さらに、ファミリーコンピュータとドラゴンクエストを手に入れた。

この頃は、

昼間  → 仕事
夕方  → 野球の練習
夜   → 麻雀(タバコと酒)
日曜  → 野球の試合
その他 → ドラクエ

毎日が充実していて、時間があっという間に過ぎていった。

仕事では、ミスしたことを除けば超順調だし、野球や麻雀でも、負けたことを忘れてしまえば絶好調だった。

さらに、ドラクエは予想を遥かに上回る面白さで何度も徹夜した。

しかし、ゲームを続きからできるための、復活の呪文を間違えてメモに書き写しては、復活できずに、折角の徹夜を何度も無駄にしては涙した。

そんな困難にくじけることなく、徹夜を繰り返したことで、無事にゲームをクリアできた。

そして、約1年ごとに新作が発売されるので、規則正しく不規則な生活を続けることができた。

スポンサーリンク

<転がる>

お気楽な勤め人生活を送り続けていた間に、削り続けられた睡眠時間。

さすがに3年以上も続けると、心も体も病んできた。

加えて、会社は不況の波を乗り越えようと事業を見直し。

結局、居心地良くなさげだったので会社を辞めた。

辞めちったけど、よーく考えたら、こんな不景気な時に辞めたらダメでしょ!

と気付いたけど後の祭り。

それより、何かで読んだ話。

アメリカ人は生涯に約10回ほど転職するらしい。

負けてない気がしたから調べた!
家電製造 →損害保険 →建設会社 →縫製工場 →ケーブルテレビ →システム開発会社 →出版社 →学校 →通信会社 →印刷会社

40歳前半にして、アメリカ人の平均に並んでいた。
ただ、転職の理由は大きく異なるためキャリアアップにはつながっていない。

この頃の自分は、次の仕事なんてすぐに見つかると、甘く考えていた。だから、深く考えずに辞めていた。

そして、将来の事など何も考えず就職するの繰り返し。

このループ状態が発生して20年くらい経った時に、ふと思った。

安定した楽ちんな暮らしは過去の話!

人生転げ落ちるって、きっとこういうことだと、遅いけど、ようやく気が付いた。

そして、仕事も収入も貯金もねぇ〜〜〜〜!

なんとかしないと、きっと俺は大変なことになる。

いや、すでに大変なことになってる!(泣)

<光明>

転職ループも後半になると、就職は簡単ではなかった。

むしろ大変だったので、もっと楽な道を求めて、派遣会社に登録し、派遣先を紹介してもらっていた。

幸いにも、いろいろな企業を紹介してもらい、たくさんの派遣先で仕事をすることができた。

そこで、たくさんの優しい人や面白い人に出会い、楽しいことが多くあった。

そんな中、ある学校の校長先生から提案された。

こんな仕事があるけど登録してみたら、という内容だった。

採用されるか分からないけど、必要な書類を揃えて、面接に出向き登録を済ませた。

それから、今のツレと一緒に生活し始めたのもこの頃からだった。

約20年という月日を転げ落ち続けてきたと思っていた。

けれど、何もやってないわけではなかったと思えてきた。

貧乏だったけど、一筋の光明を持てただけでも、丸儲け!の時期だった。

<転機の瞬間>

安定して転落を継続するなか、仕事先も変わり、半年ほどが経った。

人見知りの自分も、ようやく新しい環境に慣れてきた頃。

そろそろ、同じ部署の人の顔と名前を覚えなきゃと、思っていたら、掛かってきた1本の電話。

ざっくり言えば、「仕事する?」といった内容だった。

履歴書を出したことや面接を受けたことを、うっかりして、しっかり、スッカリ忘れてた。

2年も前のことだから仕方ないと思いながら、「やります」と伝えた。

<ちょっと前>

大方の予想に反して、紹介してもらった仕事は、意外にも辞めることなく続けていた。

収入が思っていたよりも増えると、お金を生活費の他にまわせるくらいの余裕ができた。

 > 今となっては使えないような古いApple製品収集
 > 晩酌で本物ビールを飲む
 > 旅行へ行って外こもる

くらいの好きなことをしても、結構のほほ〜んと暮らせるようになっていた。

<海外旅の理由>

1991年「釜山旅行」
1991年「釜山旅行」

1991年に韓国の釜山に行ったのが初めての海外。

その時は、移動中のタクシーが信号待ちで停車していると、いきなり知らない人が後部座席のドアを開け、そこに置いてあった荷物を持ち逃げした。

パスポートや現金も入っていたから、必死になって追っかけると、店の中に逃げ込まれたり、BARで飲んでたら、地元の客と店員が口論になり、店の人が警察に連絡したようで、数分後に機関銃を構えた集団に囲まれ、客全員が両手を上げていたりの地味な2泊3日の観光旅行だった。

だけど、この旅行では、いろんなことを経験して気づいたことや分かったことがあった。

それは、釜山の空港に着いて、飛行機から降りると直ぐに感じたキムチの匂いだった。

この匂いを感じたことは、自分にとって衝撃だった。

大きさや感触、色、匂い、味、音、温度、湿度とか、実際に行ったから得られる感覚がたくさん有るって知ってしまった。

また、日本と違うこと(常識とかも)がたくさんあって、違っているところも、どっちが正解とかなくて、どっちでも良くて、自分は今まで正解は一つしかないと思ってた人だったから、もっと自由でいいんだって変わってきて最高に楽しかった。

そして、もっともっと、たくさんの所へ行って、いろいろな事を分かりたいし、感じたいと思った。

だけど、残念なことに、その旅行以降は、落ち続けの人生で、海外旅行をするための、お金も知識もなく、海外旅行という発想すら出てこなかった。

それが、2011年のゴールデンウィーク中。
特にする事もなく、見たい番組があった訳でもないけど、テレビを点けていた。
すると偶然にも目に留まった旅行会社のコマーシャル。

そこには、微笑みの国タイが映し出されていた。
タイという国に興味が有った訳でもないけど。

数十分後、日本旅行と書かれた看板のオフィスで、イスに座りパンフレットを見ながら店員から旅行プランの説明を聞いていた。

今回の電光石火の行動は自分でも驚いた。

20年前に韓国旅行で、分かったことや感じたことを頭が記憶していて、体はその続きをやりたがっていたんだと思った。

”いろんな人に出会って、たくさん話して、いろんな考え方や見方を知りたい”

”多くの場所へ行って、感触や匂いや多くのことを感じて本当を知りたい”

この2つを満たすために、始めた20年前のつづき。

この時、ツレも一緒に旅行の説明を聞いた。

説得する手間が省けてよかったと思ったのは内緒。

<タイ王国>

パスポートも持ってないのに、海外旅行の契約を済ませた。

次に、タイ王国のことについて調べた、いろいろ調べた、なんでも調べた。

本も買ったしネットでも調べた。

旅行会社の担当者も、旅行好きのようで、質問すると半端なく丁寧に調べてくれるし、資料も、これも役に立ちそうだからと大量の冊子を用意してくれた。

その時にお礼を言うの忘れてたかも、コップン・カップ!

そのうちに、調べている時間も、楽しくなってきて、何ヶ月もやってると、もうタイに行ってきたくらいの感覚になっていた。

そして、タイ(←魚ではない方)の様々なことを知ることができた。

2011年「サンプラーン・エレファント・グランド&ズー」
2011年「サンプラーン・エレファント・グランド&ズー」

仏教国、首長族がいる、クロコダイルショーやってる、Tシャツを着る時は色に注意、お金はバーツ、首都はバンコク、旅行に行くのもバンコク、冬がない、ゴーゴーバーは英語でa gogo、BTSはモノレールじゃない、血液型占いよりも誕生曜日占い、テイクアウトはビニール袋、etc……。

それに、なんかマイペンライって言葉に、自由っぽさを感じた。

実際に行ってみると楽しかった。

ただ、申し込んだパッケージツアーは、朝早くから、夜まで観光のスケジュールが細かく設定されていて、自由な時間が少なかく、初めての暑さもあって結構疲れた。

なので、ホテルに戻ると疲れを癒そうとグッタリと寝るだけだった。

その夜も、次の日は6時起きの予定だったから、21時頃にホテルへ戻ると、シャワーを浴びた後は、直ぐにベッドに行き眠っていた。

夜中の2時にノックの音が
2011年「インペリアル・クイーンズパーク・ホテル」(現バンコク・マリオット・マーキス・クイーンズパーク・ホテル)

すると、不意に入り口のドアをノックする音に気がついた。

とっさに、ガイドの顔が脳裏をよぎる。

慌てて、眠い目をこすりながら、時計を見ると午前2時。

集合時間に遅れて、ガイドが迎えにきたわけではないようだ。

それにしても、この時間に誰だろう?

次の瞬間に頭をよぎった一言。

ヤバイくね!?

ドアを開けない方が、無難だという平常心。

ドアを開けて、向こうに何がいるのか、見たいという好奇心。

どっちを取るか、束の間の葛藤。

勝ったのは好奇心。

ドアチェーンが、掛かっていることを確認して。

慎重にゆっくりとドアを開ける。

わずかな隙間から感じる人の気配。

隙間から伸びてきた手を見て女性と思った。

手には小さな瓶を持っていた。

その瓶を差し出されると、思わず受け取ってしまった馬鹿な自分。

日頃から、配っているポケットティッシュを、必ず受け取っている自分を後悔した。

そんな事よりも、何故か自分の手にある小瓶。

見ると中には白い粉。

数秒にして、もっと危険な状況になった気がした。

視線を上に向ける。

女性は、まだドアの前に立ち、手は入り口に残ったままだった。

何故か、お金を待ってると思った。

とっさに、小瓶をその女性の手に握らせ、そのまま手を外に押し戻し、ドアを閉め鍵をかけた。

部屋の椅子に腰掛け、ドアの方を見ながら、しばらく様子を伺った。

幸い、ノックの音はしなかった。

この間も、心臓はドックンドックンと鼓動は乱れ、そして大きさも3倍になった気がした。

今となっては、このホテルも無く、白い粉が何だったのか。

何故、夜中の2時にノックをしたのか、永久に謎。

こんな非日常的なことが、日常的に起こるアメージングタイランド。

こんな危険な香りに、自分はますますタイランドに惹かれていった。

最終日に、空港へ向かう車中に雨が降り始めた。

その雨は関係ないと思うけど。

3ヶ月後、タイは大洪水に見舞われた。

日本のテレビでも取り上げられ、連日放送されるくら大きなニュースになっていた。

何時、誰が言ったかの覚えてないけど。

ただ、記憶に残っている言葉。

「こういう時ほど、行ってお金を使えばいいんだよ」

2012年「洪水から守るために積み上げられた土のう」
2012年「洪水から守るために積み上げられた土のう」

洪水も治り1ヶ月経った12月、まだ痕跡の残るタイに出発。

行ってみると、バンコクの人は意外と陽気だった。

その陽気さに、またタイという国が好きになった。

そんなことを、何度も繰り返しているうちに。

タイは、外に出ると暑いし、室内は冷やし過ぎて寒いし、出会った人はみんな暖かいしで、人の表情や空気に触れていると、いろんなことが伝わったてきて、少しずつ、いろんな事が分かってきた気がした。

そしたらタイのことが、ますます好きになった。

行くと、日本にいるような息苦しさがなく快適でいられた。

結局、タイに住みたいと思うようになったから、何度もタイに行った。

2011年 タイ 帰国後、タイの洪水の映像が、日本のニュースでも流れる

2012年 タイ(2回)

2013年 タイ(2回)

2014年 タイ(2回)

2015年 タイ 台湾

2016年 タイ(2回) ミャンマー  旅行前にテロ事件

2017年 タイ(2回) ラオス 

2018年 タイ ベトナム カンボジア

タイに行くたびに、

 ・タイの気候は、年間を通して寒くない
 ・タイの人は、いつも微笑んでる感じする
 ・タイの食堂では、ハイネケンが安いし美味い

こう、ツレに話しては、タイの良い所をアピールし、何時でも移住できるよう備えた。

<移住>

2018年3月 行動を開始し、ツレに移住すると伝えた

        最初は驚いていたように思えた

        でも、薄々気付いていたのか、案外簡単に了承してくれた

2019年3月 移住しました!

        「沖縄」に!!

はぁ、何で?

となるでしょ。

それはね、

タイだと、言葉を話せないことが不安で踏み切れなかった(←臆病者のセリフ)。

ツレには、

沖縄の気候は、年間を通して寒くない

沖縄の人は、いつも楽しそうにしてる感じがする

日本語で大丈夫だから、言葉を覚えなくていいから(←これって、結構大きいなと思った)

と、言って説得していた(笑)

だけど、50歳過ぎて!金なし!ツテなし!仕事なし!

それも、歳を重ねたぶん、前より状況は、悪い気がする。

いや、むしろ、そういう気しかしない(号泣)。

<現在>

ツレは無印が好きで、無印の商品を見るとニッコリする。

印の無いのは好きだけど、職が無いのは好きでないようで、見るとガッカリするようです。

という訳で、ガッカリばかりさせていられないので那覇市のハローワークへ。

建物に入って最初に見たのが1枚のポスター。

書いてあった文字は「6月スタート受講生募集」。

この道を行けよ!行けばわかるさ〜!

という、誰かの言ったセリフを頼りに申し込んだ。

それが、沖縄県職業訓練のWebプログラミング養成科。

50歳を過ぎて、覚えることが多く大変だったけど、

2019年8月 Webクリエイター能力認定試験上級 合格

2019年9月 Javaプログラミング能力認定試験2級 合格

2つの資格を得て、

全課程を就職の決まらないまま無事(?)に修了した。

さあ、今からどうしようと思いながらも、

仕事はないが、予定↓はあった。

2020年2月 タイ旅行(笑)

2021年「ワット・パクナム(タイ王国)」
2021年「ワット・パクナム(タイ王国)」

ところが、行ったものの、新型コロナウィルスの影響で外出もままらない恐怖!

しかも、帰国する前日にチャイナエアラインからのメール。

内容を要約すると、

あなたが予約した桃園国際空港→那覇空港の飛行機は飛ばないよ!(泣)

2021年「ノボテルホテル台北」
2021年「ノボテルホテル台北」

結局、幸か不幸か台湾で1泊することに。

無事に日本まで帰ってこれたので、

「美味しいアクシデントをありがとう」ということにしておこう!

その後は、

ヒルトンホテル「ダイヤモンドステータス」
ヒルトンホテル「ダイヤモンドステータス」

2020年9月 サービス管理者・児童発達管理責任者初任者研修 修了

2020年9月 相談支援従事者初任者研修 修了

2021年3月 沖縄県障害者虐待防止・権利擁護研修 修了

2021年10月 ヒルトンホテル HONORS ステータスマッチにチャレンジ

2021年12月 ヒルトンホテル HONORS ダイヤモンド達成

2022年2月 ブログ開設「ものぐさ夫婦のBeginner’s Trip」

おそらく、たぶん、きっと、フツーに、ジョジョに、間違いなく、オレの人生!上昇中!!かも!?

ということで、最後まで読んでくれてありがとう!

そして、みなさん、よろしく!